最近、「クラハラ」という言葉がネット民を騒がせているようだ。
この「クラハラ」とは、一体何なのであろうか?
クラハラと聞くと、筆者は、「アルプスの少女ハイジ」に登場する「クララ」に対するハラスメントかと思ったが、実はそうではないようだ。
クラハラは今、日本で大流行している音声型SNSアプリ「clubhouse(クラブハウス)」に関係している模様。
clubhouseは招待制なのであるが、実は筆者はまだ招待コードをもらっておらず、参加はしていない。
そして、この招待されてないことに対するハラスメントというものが横行している模様。
以前に、「キメハラ」という言葉が世間を騒がせたが、そのキメハラに次ぐにハラスメントが、「クラハラ」になるようだ。
今回は、クラハラの意味や、その実態などについて深堀してみようと思う。
目次
クラハラの意味について
クラハラの意味については、「クラブハウスハラスメント」を略して「クラハラ」とネット上で言われている。
「ハラスメント」自体は、「嫌がらせ」や「いじめ」という意味を持っているが、clubhouseに関わる嫌がらせが、すでに発生しているようだ。
例を挙げると、clubhouseに招待されていない人に対し、「まだ招待されてないの?」、「自分なんてとっくに招待されているよ」といってみたり。
clubhouseに招待されていない人に対し、わざと「クラブハウスでされてたあの話聞いた?」と質問してみたり、
Androidでそもそもclubhouseに参加できない人を招待したり、clubhouseの自慢をしてみたり、様々な形でクラハラが行われているようだ。
これはまるで、「ドラえもん」に登場するスネ夫が、のび太に対して、ゲーム機や旅行の自慢をするシーンを彷彿とさせる。
ただ、clubhouseもいずれ、多くのユーザーを獲得するために、Facebook(フェイスブック)、mixi(ミクシィ)などのように招待制を解禁し、全ユーザーで使用可能になるかもしれない。
また、Androidにもいずれ対応する可能性もある。
すると、こういった問題は解消されるであろう。それでも、clubhouseに興味がなかったり、別にやりたいと思わない人に足して、「clubhouseをやりなよ」と強要するケースが増える懸念もある。
以下は、クラハラに対するツイッター上の反応となる。
「clubhouseやりました?」って聞かれて「いやあんま興味持てなくてやってないです…」って言ったら「ええ、それヤバいですよ!」ってclubhouseハラスメント受けて朝からガン萎えしてる
— ほんざん (@honzan_v) February 2, 2021
最近SNS上ではクラハラが起こり始めている
— ぼさ (@bossamba) February 1, 2021
「え、まだclubhouse入ってないの?」
「友達おらんやん!」
という『クラブハウスハラスメント(クラハラ)』が大阪にて観測されました。— カワモト@インスタ攻略note200部突破 (@kawamotogram) January 29, 2021
クラハラとキメハラとの比較
キメハラは、すでにご存知の方も多いと思うが、アニメ化した漫画「鬼滅の刃」を見ていないことに対し、「まだ見てないの?」と煽ってみたり、「鬼滅の刃」に興味のない人に対しても「絶対に見るべきだ」と促したりする行為である。
クラハラも、嫌がらせという観点からは同じであるが、鬼滅の刃は基本、見ようと思えば見れるのに対し、clubhouseはやりたくてもできない人もいるので、その点は大きな違いかもしれない。
やりたくてもできないのに対し、「えー、まだやってないの~?」と言われると、精神的に受けるダメージはより大きいことが予想される。
ちなみに、キメハラのときは、なぜだか解らないが、プロゲーマーの梅原(ウメハラ)氏の名前が浮上した。
その理由は、ウメハラ氏がフィニッシュをキメたことをキメハラというのではないかと勘違いを起した人が続出したからだ。
今回のクラハラについても、ウメハラしが攻撃を食らったことを、クラハラというのではないかと勘違いする人が出ないかも懸念される。
クラハラのまとめ
記事冒頭でも申し上げた通り、筆者もまだ招待されてないので、clubhouseができないのであるが、クラハラを受けないか心配だ。
ちなみに、ネットオークションや、フリマアプリで販売されていたりしたが、そういったところで購入するのはあまりオススメではない。
理由は、電話番号などの個人情報を相手に知られたり、招待者の情報がclubhouseの記録に残ってしまう点にある。
なので筆者は、招待されるか、招待制が解禁され、clubhouseができるようになる日をじっくり待ちたいと思う。
招待制であるclubhouseは現状、「招待される人」と、「されない人」に分かれる一種のSNS格差といえる。
その格差が、やがて差別に繋がらないことを祈りたいものだ。